饅頭の名前の由来や歴史とは?種類や特徴・三大饅頭についても紹介
和菓子と聞いたら真っ先に饅頭(まんじゅう)が思い浮かびませんか?
饅頭は、手軽なおやつから手土産まで食べる機会は多い和菓子ですよね。
また、いろいろな種類があるのも魅力ではないでしょうか。
そんな身近な饅頭ですが、なぜ「饅頭」という名前なのでしょうか?
また、いつどこで誕生したのでしょう?
そこで、このページでは饅頭の由来や歴史について紹介していきますね。
饅頭の特徴
日本人なら饅頭と聞いたら、だいたいどんな和菓子か想像がつくと思います。
でも、具体的に特徴を説明しろといわれたら、難しいですよね。
そこで、まずは饅頭の特徴から紹介します。
饅頭とは、粉類の皮(生地)でいろいろな餡(あん)を包み、蒸したものです。
粉類は、小麦粉・米粉・そば粉などを使います。
饅頭は、日本の蒸し菓子の代表的なものです。
形は底を平らにし、上側を丸っこくしたドーム状のものが多いです。
しかし平らな小判型にしたもの、上をコンモリと突き出させて山型にしたものなど、さまざまな形状の饅頭があります。
中に包み込む餡は小豆餡が代表的です。
小豆は、粒餡とこし餡があります。
ほかにも白餡、うぐいす餡、イモ餡、栗餡、抹茶餡などがあり、なかにはクリームを入れるものまであります。
饅頭の種類
同じ饅頭でも蒸すのではなく、焼いてつくる饅頭があります。
この種類の饅頭は「焼き饅頭」と呼ばれているのです。
焼き饅頭に対し、さきほど紹介した蒸してつくる饅頭は「蒸し饅頭」とも呼ばれています。
焼き饅頭は、カステラ状の生地で餡を包んで、焼き上げてつくるものです。
東京の「人形焼」や、広島県宮島の「もみじ饅頭」が知られています。
ほかに「栗饅頭」も焼き饅頭の一種ですね。
なお群馬県の郷土菓子にも「焼き饅頭」という名前のものがありますが、違う種類のものです。
また、新しい焼き饅頭の種類として「かりんとう饅頭」があり、2010年代前半に全国的ブームになりました。
さらに蒸し饅頭の中にも、いろいろな種類があります。
また同じ種類のものでも、地域や製造者によって特徴が違ったりするのです。
「薯蕷(じょうよ)饅頭」は、蒸し上がりの皮をふっくらさせるため、生地にすりおろしたヤマノイモを入れた饅頭。
上用(じょうよう)饅頭、薬(やく)饅頭とも呼ばれます。
「酒(さか)饅頭」は、酒種や甘酒の絞り汁を加え、酒素(しゅそ)の発酵作用を利用した饅頭です。
ほかにも、有名な種類では「そば饅頭」や「薄皮饅頭」「塩饅頭」などがあります。
岡山県の「藤戸まんぢゅう」や「大手まんぢゅう」は、酒饅頭であると同時に薄皮饅頭の一種でもあります。
ほかにも種類は多く、蒸し饅頭の種類は非常にたくさんあります。
なお見た目が涼しげな「葛饅頭」や「水饅頭」は、生菓子の一種になります。
饅頭の起源・歴史
いろいろな種類のある饅頭ですが、その起源はいつ・どこにあるのでしょうか?
ここからは、饅頭の起源や歴史について紹介していきます。
はじめに、饅頭の歴史を年表でザッとまとめてみました。
時代 | 内容 |
---|---|
中国・三国時代 | 蜀漢の国で諸葛孔明が、肉を小麦粉の皮でくるんだ饅頭を考案(諸説あり)。 |
奈良時代 | 饅頭が唐菓子のひとつとして伝来。「餛飩(こんとん)」「蒸餅(じょうへい)」「十字(じゅうじ)」などと呼ばれる。 |
具無しのものや、具を野菜メインにした饅頭が出てくる。 | |
鎌倉時代初期 | 中国・宋から帰国した僧侶・円爾(えんに)が中国から酒饅頭の元となる饅頭のつくりかたを日本に伝える(否定説あり)。 |
室町時代前期 | 中国からの帰化人・林浄因(りん じょういん)が小豆餡入りの饅頭「奈良饅頭」を考案。蒸し饅頭の元祖。 |
小豆餡入りの饅頭は砂糖饅頭、野菜入りの饅頭は菜(さい)饅頭と呼ばれるようになる | |
室町時代中期 | 林浄因の子孫・林紹絆(りん しょうばん)が京都にて、ヤマノイモを生地に使った饅頭を販売(薯蕷饅頭の祖、志ほせ饅頭の起源)。 |
室町時代中期 | 山城国・伏見の鶴屋(現 和歌山の総本家駿河屋善右衛門)が酒饅頭を販売(酒饅頭の元祖、本ノ字饅頭の起源)。 |
室町時代後期〜江戸時代 | 武家のあいだで茶道が盛んになるとともに、蒸し饅頭が浸透。 |
江戸時代 | 各地にさまざまな蒸し饅頭が登場。そば饅頭・おぼろ饅頭など蒸し饅頭の種類も増加。菜饅頭は衰退。 |
明治時代 | カステラなどの焼き菓子の技術を饅頭に取り入れた「焼き饅頭」が登場。中期には「栗饅頭」「桃山」、後期に「人形焼」「もみじ饅頭」が販売される。 ほかに「葛饅頭」や「水饅頭」も登場。 |
大正時代 | 肉まんが誕生。 |
次は時代ごとに、詳細を見ていきましょう。
饅頭を考えたのは諸葛孔明?!
まず饅頭が生まれたのは、三国時代の中国大陸です。
劉備が建てた「蜀漢(しょくかん)」という国で生まれといわれています。
蜀漢は、現在の中国の四川・湖北省と雲南省の一部です。
諸葛孔明(しょかつこうめい)が戦に向かうとき、人間を殺して首を神に供えれば戦いは有利になると助言されました。
しかし孔明は人を殺すことを避け、代わりに小麦粉を練った皮で羊と豚の肉をくるんで丸くして蒸し、それを人の頭に見立てて神に供えたのです。
これが饅頭のはじまりといわれています。
また現在の日本で親しまれている、中華まんじゅうの「豚まん」の起源でもあるのです。
なお諸葛孔明は関係ないとする説や、孔明の時代より昔に饅頭は存在する説など、饅頭の起源にはいろいろな説があります。
また、饅頭という名前にもいろいろな説がありますが、饅頭の見た目に由来するという説が有力です。
奈良時代に饅頭が日本に伝来
饅頭はかつて「曼頭」と書かれており、「曼」は「きめが細かくつややかなこと」を意味し、「曼」も「頭」も菓子の見た目に由来しているとされています。
奈良時代、中国からいろいろな菓子が伝来しました。
中国から伝わった菓子は「唐菓子(とうがし)」と呼ばれます。
唐菓子の中に「餛飩(こんとん)」というものがありました。
小麦粉を水でこねて中に細かく刻んだ肉を包み、丸めて蒸してつくります。
つまり餛飩は、中国で生まれた饅頭が伝わったものなのです。
その後、餛飩は「蒸餅(じょうへい)」「十字(じゅうじ)」などと呼ばれるようにもなりました。
また十字の呼び名は、蒸すときに生地の表面がひび割れないよう、あらかじめ十字の切れ目を生地につけておいたことが由来といわれています。
その後、肉の代わりに野菜をメインにしたものも生まれました。
室町時代に蒸し饅頭が日本に登場
室町時代前期の1349年、当時中国を支配した元(げん)から日本に帰化した林浄因(りん じょういん)という人物がいました。
帰化後、林浄因は現在の奈良市に住み、饅頭店を営んでいたとされます。
林浄因は饅頭を日本人好みに改良し、小豆餡を入れた甘い「奈良饅頭」を販売しました。
林浄因の砂糖饅頭は「奈良饅頭」と呼ばれて、奈良で大ブレイクしたのです。
この奈良饅頭が、現在の蒸し饅頭の源流といわれています。
ちなみに、甘い饅頭以前からあった野菜メインのものは「菜(さい)饅頭」と呼ばれるようになり、それに対して奈良饅頭のような餡入りの甘い饅頭を「砂糖饅頭」と呼ぶようになりました。
なお林浄因の子孫も代々饅頭店を営んでおり、やがて塩瀬という姓を名乗ります。
そして京都を経て、江戸に移り住むようになり、現在も残る和菓子店・塩瀬総本家につながるのです。
また奈良饅頭は、江戸時代中期創業の奈良の老舗和菓子店・千代乃舎 竹村が、現代風にアレンジしたうえで復刻。
「奈良饅頭」として販売しています。
なお、蒸し饅頭の起源にはほかにも説があります。
鎌倉時代初期の1242年に中国・宋(そう)から帰国した僧侶・円爾(えんに)が中国から伝えたとする説です。
その説では円爾は、博多で商人の栗波吉右衛門に中国で知った現在の酒饅頭の元となる饅頭のつくりかたを伝えたのが、蒸し饅頭のはじまりとされています。
しかし『日本大百科全書』(ニッポニカ)では、酒饅頭が世に出るのは室町時代後期(戦国時代)以降なので時代が合わないとして、否定しているのです。
『日本大百科全書』によると戦国時代に酒饅頭を考案したのは、山城国の鶴屋(つるや)という店。
1461年に酒饅頭をつくったとされています。
酒饅頭については、次の項で詳しく紹介しますね。
室町時代中期には薯蕷饅頭・酒饅頭も登場
室町時代以降、武家のあいだで茶道が盛んになったことにより、茶道とともに塩瀬の饅頭は発展していきました。
また室町時代中期、林浄因の子孫・林紹絆(りん しょうはん)は、京都で生地にヤマノイモをすって入れる薯蕷饅頭も考案し、名声を得ています。
紹絆は中国に菓子修業に行き、そこでヤマノイモを使った饅頭づくりを学びました。
林紹絆の営んだ和菓子店は、現在も東京にある塩瀬総本家の大元です。
塩瀬総本家といえば「志ほせ饅頭」で有名ですね。
志ほせ饅頭は、林紹絆の考案した薯蕷饅頭が起源なのです。
いっぽう、薯蕷饅頭と同じ室町時代中期には酒饅頭も誕生ししています。
1461年に、山城国の伏見九郷里(現在の京都市伏見区)にあった鶴屋(つるや)という店が酒饅頭をつくりました。
江戸時代になると鶴屋は、のちの紀州徳川家に愛用され、「本」の字を授けられて、酒饅頭の表面に「本」と刻印した「本ノ字饅頭」が生まれたのです。
徳川家とともに和歌山に移り「駿河屋」と屋号を変えます。
駿河屋(現 総本家駿河屋善右衛門)・本ノ字饅頭とも現在も残り、「本ノ字饅頭」は和歌山銘菓として愛されています。
江戸時代に薯蕷饅頭・酒饅頭が主流になり菜饅頭は衰退
江戸時代になると、饅頭は薯蕷饅頭と酒まんじゅうの蒸し饅頭が主流となります。
江戸時代初期の1635年、虎屋という和菓子店の黒川円仲(くろかわ えんちゅう)という菓子職人が御所に酒饅頭を献上し、おいしいとして評判になりました。
以後、塩瀬の薯蕷饅頭と虎屋の酒饅頭は格式ある饅頭として高い評価を受けるようになったのです。
なお塩瀬も虎屋も、現代まで営業を続けています。
さらには薯蕷饅頭の皮にそば粉を加えた「そば饅頭」、蒸し上げた薯蕷饅頭の皮を剥いた「おぼろ饅頭」も登場しました。
大名や武家は茶道をたしなみ、藩の御用達としとなった和菓子店も登場します。
藩御用達の和菓子店の饅頭が、”御用菓子”として地域の銘菓となるものもありました。
蒸し饅頭が発展するいっぽう、菜饅頭は江戸時代までに衰退します。
現在も長野県の郷土食として親しまれている「おやき」は、数少ない菜饅頭の名残をとどめている食べ物です。
江戸時代には出島を通じたオランダとの取引で、西洋の焼き菓子の技術が日本に伝来しました。
明治以降にさまざまな饅頭が登場
明治時代になると、カステラなどの焼き菓子の技術を饅頭に取り入れた「焼き饅頭」が生まれます。
明治時代中期には焼き饅頭の一種「栗饅頭」や「桃山」が登場。
さらに明治時代後期には、同じく焼き饅頭の「人形焼」や「もみじ饅頭」も生まれました。
また生菓子に分類される饅頭として「葛饅頭」や「水饅頭」も、明治時代に登場しています。
大正時代になると、中国の「パオズ(包子)」という食べ物をヒントに「豚まん」が生まれました。
パオズは、かつて諸葛孔明に起源があるとされる饅頭を起源に持ちます。
豚まんは日本で衰退した菜饅頭にも似ていて、菜饅頭がふたたび日本で復活したような印象ですね。
日本三大饅頭
全国各地にいろいろな饅頭がありますが「日本三大饅頭」と呼ばれるものがあります。
日本三大饅頭は、以下の和菓子店が製造する銘柄です。
- 塩瀬総本家「志ほせ饅頭」(東京都中央区)
- 柏屋「薄皮饅頭」(福島県郡山市)
- 大手饅頭伊部屋「大手まんぢゅう」(岡山県岡山市)
塩瀬総本家は、さきほど紹介した蒸し饅頭の祖といえる林浄因からつながる歴史ある店。
志ほせ饅頭は、浄因の子孫・紹絆の考えた薯蕷饅頭の一種です。
柏屋の薄皮饅頭は、その名のとおり薄皮饅頭の一種になります。
江戸時代後期の嘉永5年(1852年)からの歴史がある饅頭です。
大手まんぢゅうは、酒饅頭の一種です。
皮が非常に薄く、薄皮饅頭の一種でもあります。
江戸時代後期の天保8年(1837年)からの歴史があり、備前岡山藩主が「御用菓子」として愛用していました。
ぜひ、三大饅頭を食べてみてください。
それぞれ種類も味・特徴も異なりますので、食べ比べもおすすめです。
さいごに
身近な饅頭ですが、こんなに長く複雑な歴史があったとは知れませんでした。
時代によってさまざまな饅頭が生まれてきたのですね。
いろいろな種類の饅頭を食べながら、特徴を食べ比べてみても楽しいかもしれません。
おみやでは全国の饅頭を紹介しています。
ぜひ、参考にしてください。
【参考文献】
- 『日本大百科全書』(ニッポニカ)「まんじゅう」の項
- 『世界大百科事典』「饅頭」の項
- 『奈良饅頭』国立大学法人 奈良女子大学 公式サイト